CHILD LIBRARY 子どもライブラリー

「新しい挑戦」

10月5日(日)の運動会は、台風接近のため、19日(日)へ延期となりました。替わって、その日の朝は、福島県あさひがおか保育園から、前日より運動会の見学に来ていた高橋Familyの歓迎サッカー大会を、どんよりとした空模様の下で強行。呼びかけに暇人20人が集まり、大いに盛り上がり、その流れで運動会の打ち上げとしていたピオレのビアホールに押しかけ、大騒ぎの末、明日自分の園で予行演習をするという高橋君を、無事、福島(郡山市)へ送り返しました。(尚、郡山市では、放射能汚染のため、長く戸外活動が制限されていましたが、ようやく外で思いっきりあそべるようになったそうです。ヨカッタ!!)

 

今回の運動会は、ユニークなものになりそうです。前日4日(土)の夕方、公園において、父親たちが子どもと全員体操を練習し、さらに東の空に半月を見上げながらじんろく組とそのお父さん達が、ポンポンを持ってダンスの練習をしました。薄暗く、ヒンヤリとして、人気のなくなった公園で、最後に我が子を抱きしめる瞬間の清々しさは、やってみないとわからないだろうと思います。

保護者が、お客様として運動会を楽しむことと、一緒に運動会を作り上げていくのとでは、かなり空気感が違います。皆さん忙しいですから、作り上げることが多すぎると負担になります。かと言って、呑気なお客様だけの責任だと会場の一体感を欠きます。もちろん、清々しさは経験できません。ほどほどのバランスをどこに持っていくのか?今回の悩みどころでした。

 

また、今回はほとんどの競技に父親の参加を呼びかけました。こういう時は、必ず「父親のいない家庭はどうするんですか?」と苦情になります。昨今、母子家庭、父子家庭は、珍しくありません。たとえば、「母の日、父の日」の製作をすることに配慮し始めると、作品作りはできません。また、運動会のかけっこの順位も、よく話題になります。挙句、遅い子どもに配慮して、かけっこの順位をやめたり、かけっこをなくしたりが実際起きています。

「それぞれの家庭事情に配慮する」ことも、いきすぎると萎縮するばかりで社会は息苦しくなります。それでは、子ども達にとって必要な経験が充分にできず、曖昧な価値観に振り回され、何を信じていいかわからなくなります。そして、先生達にとっては、新しいものを生み出す力を削がれ、子ども達の可能性を引き出すことができず、仕事を楽しめません。さらに、保護者にとっては、自己主張に伴う責任と他人を想像する力が育たないまま、隣り合わせの孤独に苦しむことになります。

しかしそれでも・・・。

 

私は、4日の夕方、父と子の講演練習の後、職員に言いました。「新しいことに挑戦する。父を引っ張り出すけれど、それじゃ母親はダメなんですかという話ではない。誰が出てきても構わない。それは小さなこととする。子どもも親もそれぞれの事情に合わせて、みんな楽しむ。その場所を提供する。母子家庭も父子家庭も、全部包み込んで突き抜ける。園は、一定の方向性を打ち出し、目標を掲げて、みんなを引っ張っていく。迷うことはない。もちろん、設定はしていても、選ぶのは親に任せる。そして、親の選択は尊重する。

ただし、突き抜けることと、暴走は違う。暴走は、物言えぬ人達を置き去りにしてしまう。これは、私達の選ぶ教育ではない。引っ張る以上、私たちには責任がある。より感性のアンテナを高く掲げて、ひとりひとりの「言えない想い」を見逃さないようにして欲しい。君達の力量が試されている。覚悟を持って、思い切り楽しむ運動会にしよう。おそらく、保護者、子ども、先生に、新しい経験が生み出されると思う。」

 

というわけで、10月19日(日)は、お楽しみに・・・。

 

おねがい

皆さんご存知のように、これほど多くの発達レベルの違うさまざまな子どもが、当たり前のように一緒に保育・教育を受けている園は、全国でも珍しいでしょう。

30年間の養護・教育の一体的な運営のノウハウの蓄積が、この園にはあります。若い先生達も、先輩から引き継いだ伝統を、当たり前のように実践してくれます。そして、どの子も同じように可愛がってくれます。19日は、とても複雑な背景を持った複数の子ども達が、ひとつの集団の中で、ひとつの運動会に取り組みます。

園長としては、どの子どもも同じとして、自然に当たり前に、運動会を進行させるつもりです。目には見えない職員の努力、気遣いなどの背景をどうぞ想像してください。そして、一緒に作り上げることに、ご協力よろしくお願いします。

2014/10/17