CHILD LIBRARY 子どもライブラリー

「今何をするべきか」

2019年がスタートしました。

1月の園だよりで、昨年の夜のクリスマス会の感想が一部抜粋掲載されていました。

前号のカナカナ通信に、夜のクリスマスは「さむい」「見えない」「せまい」のであまりうれしくない。・・・でも、「この行事が一番好きです」と言われる保護者の方が多いのは何故でしょう?その秘密を一緒に経験しましょう。と書きました。

結果として、多くの感想を読ませていただいて、子どもだけでなく、保護者の皆さんと「目に見えない心地良さ」を共有できたことは、私達にとっても大きな喜びです。しかし、数少ないとは言え、園側が意図するところが充分に伝わらず、マナーの悪い人もいたようです。「子どもライブラリーらしくない」と、お叱りの声も頂戴しました。

 

私は思うのですが、ルールやマナーを強制して、協力を求めるのは簡単ですが、そこに「目に見えない心地良さ」を共有できる仲間は生まれません。形ばかりでお利口にしていると、別の意味で「子どもライブラリーらしくない」と、再び叱られそうです。ひとりひとりの自覚と、自ら向き合おうとする姿勢が必要です。それを促すためにどうしたらいいか・・・。

 

話は変わりますが、1月15日に東京へ講義で出張していました。山手線の巣鴨駅にお迎えの人が来てくれているということで、私は東京駅から4番線に乗りました。しばらく電車に乗っていなかったので驚きましたが、電車の中の乗客のスマホ依存症は、すごいスピードですすんでいるようです。あっちでもこっちでもではなく、ズラリ並んでという具合です。

聞こえるのは、電車の音と駅名を告げる機会音のみ。あとはシーンとして、みんな無表情に小さな画面を見て、タッタッタッとせわしなく指を動かしています。

日暮里駅で、私の前に賑やかな格好の女性が乗ってきました。黒いレザージャケット、レザーのミニスカート、真っ黒な高い木のヒールの靴。真っ黒な眼の回りでテカテカの髪の毛。そして、真っ赤な口紅。私は、上から下まで「すごーい」と呆気にとられて見ていましたが、周りの人は誰も見ません。相変わらず、うつむいて「タッタッタッ・・・」。

私は、「せっかくバシッと決めているのに誰も見てくれないのは、この女性も残念だろうな~」と呑気なことを考えながら電車に揺られていました。

共有するために、ひとりひとりの自覚と自ら向かおうとする姿勢が必要と書きました。しかし、これを促すのはなかなかむつかしそうです。「タッタッタッ」の世界に没頭することに慣れてしまっている人達に、顔を上げて、周りを見てみようと、自覚を求めるのには、どうしたらいいでしょう?

 

私は、無責任なようですが「まぁいいか」と思っています。みんな自由に自分のしたいことをしているのに、文句はありません。

ただ、それは自分に責任を負うものが少ない時に限られます。たとえば、結婚して子どもが産まれたら、それは通用しません。自分のためでなく、家族のために見るべきもの、聞くべきものから逃げることはできません。

いつまでもうつむいて、「タッタッタッ」の世界に埋没してはいられないということです。

 

また、私は行儀良くすることを強制しませんが、顔を上げて、周りをよく見ることはして欲しいと思います。自分のしたいことではなく、「今何をするべきか」を考えて欲しいと思います。何故なら、多くの人は自由にしているようで、実際は不自由に囲われているし、したいことをしているようで本当にしたいことには届いていないという、屈折した欲求不満を抱えていると思うからです。「今何をするべきか」を見つけるためにする観察(observe)と思考(thinking)が、不自由に囲われていることから解放され、本当にしたいことに届く自己実現への一歩になることを信じます。

そして、「目に見えない心地良さ」と共感・共有するための自覚したマナーは、一歩踏み出したその後に気付くのだと思います。

 

ここで気付きましたが、日暮里駅の女性は、みんなに見てもらいたかったのか?それとも自分だけの楽しみだったのか?

いやいや、やはりみんなに見てもらいたかったでしょう。ファッションというのはそういうものです。あなたの隣でいつもと違う装いの人がいたら、必ず声をかけましょう。「ステキだね」って。

夜のクリスマスは、いろいろな感動と新たな課題を生み出して、これからも・・・つづく・・・。

2019/01/30