CHILD LIBRARY 子どもライブラリー

親子ミュージカル雑感

年が明けて1月になると、毎年のことだが、気が重い。新年の晴れやかな気分は3日と続かない。ジワジワと追い詰められるように、重苦しさは日々増していく。理由は、3月の年長組卒園公演『親子ミュージカル』の原作だ。物語を作るのは厄介だ。おもしろがって、「あんなこともしたい、こんなこともしたい」と、イメージが膨らんで湧いてくるのは5作目ぐらいだったか・・・。その間、子どもと親と一緒に舞台を作って、可能性が広がったこともあるが、制限されることも学んだ。従って、20作にもなると、間口18m、奥行16m、観客数2000人のホールを使って制作する作品は、やはり簡単ではない。オリジナルの物語のとりかかりには、インスピレーションやひらめきが必要だ。「物語を作るぞ作るぞ」と、いくら力を入れて張り切っても何も生まれてこない。瞬間のひらめきがあって、ストーリーが動き始める。このことも、20年で学んだ。ある時は風呂の中で、ある時は蕎麦屋で・・・と、その瞬間は突然やってくる。それを待つわけだが、予定通りにその瞬間はやってこないので困る。一方で、公演日は決定している。やはり、重苦しさからは逃れられない日々となるわけだ。

作品はいつもオリジナルで、しかも「観ている人が感動できなければやめる」と、自分で宣言して、ますますプレッシャーは増すばかり。過去の作品を再演する気持ちは全くない。それどころか、今までの作品を振り返ったことがない。勿論ビデオは、制作している。その年の出演者や先生もビデオを求めて手許に置いている。園にも記録用が棚にズラリと並んでいる。しかし、私は過去の作品を見ない。反省して次に生かすという考え方もあるが、反省するぐらいなら「最初からきちんとやっとく」と、思っている。いつも全力で手を抜かず、後悔もしない・・・といえばカッコイイが、本当のところは、「自分の作品を見るのは恥ずかしい」からだ。だから、とにかく、振り返らない、見ない、見たいとは思わない。

さらに毎年「今回が今までで一番良い作品を作る」と言い続けて、プレッシャーは3倍増し。「一番良い作品」については、何の根拠もない。卒園する子ども達と保護者にとっては、1回限りの作品だ。それに対する礼儀として、とにかく、持てる力を全部出して、「手を抜かず」全力で取り組む、それは自覚している。そのことは、立派な根拠のひとつになるかもしれない・・・。最近10年間の作品のタイトルを並べてみる。
『ラブリー王国』(2005)『ハルとオニ』(2006)『人魚の物語』(2007)『桜のYAKUSOKU』(2008)『まじょまじょ』(2009)『カミとヨミ』(2010)『キオラの星』(2011)『瑠璃(るり)の玉』(2012)『いのちの花』(2013)『まじょがきた』(2014)

準備期間は1ヶ月と決めている。ここは、認定こども園法に定められた教育、保育を実施するこども園だ。ひとつの行事に1ヶ月以上もかかると、園全体のカリキュラムが偏ってくる。また、保護者の負担も大きくなる。出演するお父さんお母さんも、1ヶ月なら何とか乗り切れる。協力もし合える。大道具や衣装を製作する先生の負担も考えなければならない。舞台に使用する大道具は、3mの高さをこえる。素材も多様だ。発泡スチロールの板を削って、3000年前の石の神殿を作り出す技術を先生達は習得している。しかし、毎日保育をしながらの仕事には、日程、時間を決めて、無理のないように計画してすすめなければならない。仕事に疲れてしまっては、いい作品にならない。また、その技術や計画性は先生の力量を高めて、日頃の保育を充実させるように生かしていくものであれば嬉しいと考えている。日々の保育と子ども理解、保護者支援は、いろいろな能力を多様に持てば持つほど、より深く、丁寧になる。これが保護者の力となり、保育の質を高める。従って、制作にかかわる内容も日程も、ひとりひとりがおもしろがって、自主的に頑張れるものにする必要がある。先生達は、それぞれの役割がチームを組んで動くのも大切だ。チームとして集まったメンバーが自分たちの都合に合うように仕事をすすめる。「皆さんご一緒に」というのは、無難なようだが無駄も多い。質が向上しない。チームで勝手にというわけではないが、チームの自主性は尊重する。

主人公は子ども達だ。このことについては以前にも書いたことがある。「親子ミュージカル」の公演は作品があれば、どこでも誰でもできるというものではない。この、幼児学舎子どもライブラリーの年長組だからできる。彼らの年長組になるまでの育ちが、この舞台を可能にする。(障がい児が複数いることも人間理解の多様化に貢献している)どのような育ちか?
①自分でえらぶ  ②自分で決める  ③自分で努力する  ④自分で計画する
⑤結果に責任を持つ  ⑥友達を理解する、誰も責めない
そして、園の環境の中に多様で豊かな生活体験ができるようなカリキュラムが用意されている。

さて、出演するのは「げ・ん・き」の前号に書いた、「サッカーの投票」をした子ども達だ。みんななかなか個性的でおもしろい。黙ったまま、きちんとやるべきことをする。友達に対して、とても公平で正確な人間ウォッチングもできる。彼ら40名とその保護者を交えて、どのような物語ができるのか、どのような舞台を作ったらよいのか、1月中旬になって暦はすすむが、アイディアは何も浮かばない。すっきりしない焦りの日々が続いていた。そして、1月20日、14時23分(この瞬間、時計を見たので、はっきりと覚えている)物語の神様が降りてきた。私はいつも物語がひらめく時は、そんな風に考えている。今回は20作の中で、初めての挑戦になるが、前回の続きから始まって、難民のように案住の地を求めて、最後はそれぞれ別れていくという、ハッピーエンドにならない物語にする。どうぞお楽しみに・・・。

 

◆あらすじ◆
昨年、魔女とともに追い払われた、くらやみ族モースは、石の妖精クロップが、石の中にとじこめていた光の壺を手に入れる。そして、光族ピピンを壺の中に閉じ込めながら、闇の支配を広げていく。追われた人々は、東から、西から石舞台にたどり着くが、すぐ近くまでモースは迫っていた・・・。

2016/03/07