CHILD LIBRARY 子どもライブラリー

「in a public」

若者が街中や公共機関の中で、甲高い声で「キャー」「ワァー」「カワイイ」「カッコいい」を連発して、はしゃぐのにちょっとウンザリしていました。8月に大学生・小学生をNZに引率しました。2週間目の動物園のカフェで、そのことが話題になりました。「若者が自分を表現する言葉を持っていない。」と、大学の教員は経験をふまえて的確に指摘します。毎日子どもを本当に可愛がってくれるので、私のお気に入りのガイドのマミは、「in a public」を、子どものころから親にきちんと教えてもらっていない、と言います。なかなか鋭いです。私は、「キャーカワイイ,ワァーカッコいいと同調しなければ、仲間集団に入れないのではないか」と、分析しました。その後、カフェに集まってきた大学生や小学生、そして、私のスタッフも一緒にそのことの談義に盛り上がりました。

 

1.「若者の語彙不足」は、相当深刻です。自分を適切に表現する言葉を持っていません。それらは彼らのせいではなく、自分の考えをまとめて主張するという機会が、学校時代にほとんど求められなかったからだと思います。ちょうど、私達が訪問している期間に、小学校で三者面談が(学生・保護者・先生)実施されていました。「日本にも三者面談はあるけれど、ここではどのようにするのか。」と、校長に質問しました。答えは明快でした。「学生が70%自分の学業や努力や目標のスピーチをする。それに対して、先生が20%、保護者が10%の質問をする。」それが、三者面談だというのです。そういわれれば、その期間、休憩時間に小さなメモを持って、友達の前でスピーチの練習をあちこちでしている学生を見かけました。「何をやっているんだろう」と思っていたのですが、納得しました。自分を主張する言葉を持つのは、教育と訓練が必要なのだと思います。先生に教えられたことを間違えないように覚えて、反復して、結果を出す、それが評価されるというスタイルからは「語彙不足」は、やむをえないことではないかとも考えられます。

 

2.「in a public」は、「みんなが聞いているよ」「みんなが見ているよ」という、公共の場での意識やふるまいのことを言います。たとえば、「みんながいるから大きな声は控えよう。」ということです。ガイドのマミによると、日本の若者はいつでもどこでも「キャー」「ワァー」と、よく目立ちます。それは、行儀が悪いというより、「in a publicを教えられていないのか?」という疑問の方が大きいということです。最近、電車やバスの中でも、大きな声でなく、道具の使い方、ふるまい方で「in a public」の欠如が指摘されます。特に、大人世代から若者世代への目線は厳しくなっています。私は世代に関係なく、「確かにあるなぁ〜」と、同感です。そして「公平性」という、堅苦しい言葉より「in a public」という、自分自身に同時性と密着性を感じる言葉の方が好きです。いい言葉を教えてもらったと、マミに感謝しています。

 

3.「仲間集団に入るための共感する言葉」というのは、私の考え方です。本当にカワイイと思っていなくても、本当にカッコイイと思っていなくても、とりあえず「キャーカワイイ」「ワァーカッコイイ」と声を上げて、その周囲によって行けば、仲間として受け入れてもらえるという、計算された言葉ではないかと思っています。その輪にいる限り、どこがカワイイのか?何がカッコイイのか?と問われることはありません。「なんとなく・・・」で、すんでしまします。説明する必要がなければ、楽にいることができます。しかし、理由と主張がはっきりしないだけに、その輪は関係性が薄く、すぐに分裂します。そして、またすぐに出来上がるという具合です。そのたびに「キャーカワイイ」「ワァーカッコイイ」と表明すれば、どこかにつながっていられるという、安心感がそこにあります。

 

こんな風なことを、動物園のカフェの片隅にテーブルと椅子を集めて、何時間も話し合っていました。カフェにすれば、なんと迷惑なJapaneseだと思われていたことでしょう。それこそ、「in a public」のかけらもない、厚かましさも感じていたかもしれません。それに気づいて、「ゴメンナサイ」でした。特に結論も出ず、集合時間が近づき、談義は終わりました。私はそれなりにおもしろかったのですが、参加して聞いていた大学生や小学生は、どう思っていたのかわかりません。それでも、椅子とテーブルを戻している時、数人の大学生がぼそぼそと「今日から、カワイイ〜って言うのやめようか」と言っているのが聞こえて、思わず笑ってしまいました。しかし、「こうしなさい」「いけません」「公共性を大切に」と、頭ごなしに教えられるよりも、いろいろな考え方を聞いて、自分たちなりに考え、答えを導き出すということは大切だと思います。そのような機会がもっと増えればいいとも考えました。これは大人世代の責任です。大人が自分の考えを主張したり、他人の考えを聞いたりすることの模範をもっと示さなければなりません。決められたことを当然のように、無批判に教えるだけでは、若者の思考は訓練されません。旅に出て、異なる生活・文化の中で、感じたこと、思ったことを真面目に話し合う。これも、今回の研修の大きな目的であり、成果の一つではないかと考えます。

2014/09/11