グループ懇談会のその後
2017年度クラスグループ懇談会が終わった。全員出席?(1名欠席、検査入院)
グループ懇談会の歴史は古い。最初は、各地域の家庭をお借りして、そこにみんな集まってという感じだった。家庭訪問のグループ版というところ。それなりに楽しかったが、受け入れる家は大変だ。掃除して、お茶の準備して、椅子も人数分準備。(座布団の時もあった。)しかし、家庭的な雰囲気でくつろぐので、それなりに人気があって、この方法は結構長く続いた。やがて、マンション、核家族の時代になり、15人も入れる居間がないということで、家庭訪問方式は終了。園の丸太小屋へと場所は移動した。場所は替わったが、内身については、ずーっと変わらず濃い。ひとりひとりの子どもの園と家庭の情報交換だけに終わるような会はイメージしていない。子どもの心と体の育ちをきちんと分析して、保護者と共有することが目的だ。
「責任あるな~ぁ」といつもこの時期は引き締まる。先生達は、クラスの子どものことを何日もかけて話し合う。そして、休日に集まってクラス毎のミーティングも行った。それでも、子どもの本質理解に届かないケースも出てくる。保護者に確認したいことも出てくる。もう一度じっくり子どもを見なければならないことも出てくる。話し合えば話し合うほどに、見えないこと、見ていなかったことが、明らかになってくる。「こんなことでは、保護者の皆さんに向き合い、子どものことを語れない。」というわけで、グループ懇談会は、先生達の子ども理解のための貴重な訓練の場でもあると私は思っている。
さらに、懇談において皆さんから家庭の様子を聞くことで子どもの意外な一面を知ることができた。また、親としての思いや願いも切なく、その情愛の深さに一同シーンとすることもあった。時には、家庭の複雑な事情の話もあり、「他言無用」とばかりにそれぞれが心にとどめることを確認し合ったこともあった。
お互いが共有したり、共感したりしながら子育てを通して、女性の生き方まで話が及んだこともあった。
先輩の話は貴重だ。3人も子どもがいる母親の話は、飾らず、ごまかさず、まっすぐで、それでいて温かい。生活に余裕があるわけではないが、人としての包容力がある。学びの場にこういう人がいてくれると、それだけで場が和む。
グループ懇談会は、多くの人の前で自分のことを話しづらいというハードルはあるが、みんなでそのハードルを越えて理解し合えると、共有・共感の世界は広く、ひとりひとりにとってとても大きな意義があると思う。
私は、建前ですますことはしない。ボンヤリしたままきれいごとに収めるのも性に合わない。「子どもの秘密」を知りたい。従って、結構切り込んでいく。そういう時、言葉を尽くすが、足りないこともある。誤解も生まれる。すれ違いもある。「理事長にこんなことを言われた」と腹立たしく帰る方もあると思う。
まあそれでも、問題提起もせず、仲良く、作り笑顔で会を終えるよりマシだ。いつもリスクを承知で、踏み込んで子どものことは考える。10年前と比べると、だいぶ柔らかくなったと自負しているが、未熟さは残る。それ故に緊張感ある後味の悪さも時にある。
私は、保護者の皆さんと先生達のコミュニケーションが円滑になることを望んでいる。ひとりの子どもを真中にして、大人の丁寧なかかわりが大切だと思う。「理事長が勝手なことを言っている」と、先生と保護者が笑って話せる輪があちこちで見られるようになればうれしい。
さて、親子フェスティバルも終わって、いよいよ今年度の本格的な始動だ。今年もおもしろいことを一杯やろうと、ワクワクしている。家族まるごと、ダイナミックに楽しめる企画を考えている。どうぞ一緒に盛り上がりましょう。
その前に、グループ懇談会のまとめのカナカナ学習会がある。これはちょっと厳しい。楽しいだけではないところが、子どもライブラリーらしいということか・・・。
2017/06/27