特色ある保育
「特色ある保育」
金曜日の午後から、東京に招かれて、新幹線の中でした。今年は雪が多いと言われながら、米原周辺も、富士山も、全く雪はありませんでした。同じ車両にタレントが乗っているのに時々出会います。(仕事柄、往復はグリーン車を使わせてもらっています。)男性の場合は、付き人は荷物をおいて、一般車両に移ります。若い女の子の時は、年輩の化粧バッチリのおばさん年齢の人が、見張り番よろしくの雰囲気で、女の子の横にどかっと座っています。
私は全く名前が分かりませんが、若いタレントって、あとからあとから湧いて出てくるんですね。年末のTVを見て驚きました。10代の女の子が、わんさかときらびやかに着飾ってもらって、笑顔を振りまいています。私には、とっかえひっかえ消耗品のように扱われる彼女たちのことが、どうしてもよくわかりません。彼女たちの親は平気なのでしょうか。何の訓練も受けず、ちょっと可愛いからというだけで、大きなマーケットの渦の中に我が子を放り投げ入れる乱暴さがわかりません。
新幹線を降りると、人、人、人で込み合っています。私のような田舎者は、迷路のような構内で、きょろきょろ出口を探すのに精いっぱいです。しかし、いくら大都会で、大勢の人が知たり顔で往来し、すぐそばにある情報や、飛び込めるチャンスがいくら転がっていたとしても、実際は薄っぺらいものです。私は、人の流れの邪魔になりますが、気持ちで圧倒されることはありません。
「きちじょうじ(吉祥寺)は何線ですか?」と、駅員に尋ねると、「えっ?ちじょう(地上)はここですよ」と返されました。やっぱり田舎者です。
杉並区の研修では、「赤西先生の原稿を楽しみに読んでいます」という先生たちにたくさん囲まれ、とてもやりやすかったです。前々号の「げ・ん・き」の原稿の内容にも、青森から九州までメールで意見をいただきました。そのまとめは、今号でしてあります。
日本中でいろいろな保育が実践されています。「保育の方法」というのは、やがて、その園の特色になります。たとえば、マーチングや和太鼓の「音楽」。
跳び箱が5段跳べるようになるという「体育」。字が書ける、数の計算ができると言う「知育」。さらに「食育」や、「英語」。最近は少ないですが、「絵画・造形」と、特色になるテーマはたくさんあります。
しかし、立派な特色のある園が、「保育室の中で、子どもが落ち着いて先生の話を聞くことができない」という現実に困っているというのでは、いかがなものかと思います。おもしろいことに、園の特色が顕著になればなるほど、子どもが落ち着かず、先生がクラス運営に苦労しているという事実があります。なにか変ですね。でも、多くの研修会や講演会で私に求められていることは、「どうすれば落ち着いた子どもにすることができるか」ということですから、「変ですね」と、首をかしげているわけにもいきません。
私はこう思っています。「園の特色は結果であって、子育てのはじまりではない」。はじまりは、先生と子どもの関係であって、その良質なつながりの中で、子どもが安心して、落ち着いて生活できるということです。特色がらみで私に、「うまい方法」を研修で期待している先生方は、私の話にがっかりし、逆に大勢にのみこまれそうになりながら、なんとか踏ん張っている先生方は、勇気づけられるという次第です。
今月のカナカナは、「積み重ねた育ちを確認する」です。さらに、「子育てのはじまり」と、「園の特色」への道筋について、子どもライブラリーの行事の説明を通して話します。
皆さんが踏ん張れる親になれるように応援します。お楽しみに。
2012/01/24