CHILD LIBRARY 子どもライブラリー

「動」から「静」へ

季節は巡って、子どもの活動は「明るく元気で活発」から「落ち着いて考える」。「Outdoor」 から 「Indoor」。 そして、「動」から「静」へと移行します。

12月になって、これから求められる「静かにする」ことは、巷では多くの子ども達にとっては残念ながら「静かにさせられる」ということと同義語です。「静かにしなさい!!」と言う大人のイライラした指示・命令・禁止の言葉を今までに何回聞いたことか・・・。

先日の保育参観を思い出して下さい。感想文の中に「子どもが落ち着いて先生の話を聞いていたことに驚いた。」と書いてありました。子どもライブラリーの先生達にはあたりまえのことでも、一般的には子どもは「言うことを聞かない」「うるさい」存在だと思われています。そこでやむを得ず必要に応じての「静かにしなさい!!」という激しい言葉が吐き出されるのでしょう。

しかし、それで子どもが大人しくなっても、それは「ニセモノ」です。「ニセモノ」は身につきません。そこに納得感がないからです。

皆さんが保育参観でご覧になった子どもの姿は、言い換えると「静かにすることを楽しむ子ども達」という別次元の姿です。積極的・主体的な「静に対する願望」、願望は言われたからするのでなく、自らが求めて前を向くまっすぐな姿にあらわれます。それは大人の世界にも通じるものです。ということは、大人の中で「静かにする」ことは、若干の強制を伴う「静かにしなければならない」ということと、同意語となっていないでしょうか?それでは保育参観の子どもの姿の本質は理解できません。大人の見識が試されます。質の高い経験が求められます。子どもを侮らないリスペクトする態度が必要です。

 

考えてみれば、現在の私達の生活空間、環境の中に求める「静」はどこにあるのでしょう。24時間「光」と「喧噪」の中に放り込まれている毎日です。「明るさ」と「にぎやかさ」の中で感性は削り取られ、鈍感になるばかりです。(そして、子どもが一番嫌うのは、鈍感な大人だということを忘れないで下さい。)

そこで子どもライブラリーは、探しても見つからなければ作り出すことにしました。

「夜のあったかクリスマス会」は、その意味において貴重な体験になると思います。それは子どもだけでなく、大人にとってもということです。「暗い」「寒い」「よく見えない」という夜の行事は、シチュエーションとしては最悪です。ここに味わいがあるなんて、すぐには信じられません。先程、積極的・主体的な「静に対する願望」と書きました。「大人の見識」とも続けました。雑念。思い込み。をちょっと横に置いて、園から手渡される文章をよく読んで、前日から後日まで全てが意味のある「静」の体験を、ワクワクしてお楽しみ下さい。

 

話変わって、カナカナ通信300号となります。

新聞班の皆様の絶えない努力の成果です。敬意を持って、感謝申し上げます。

保護者の寄稿は、力のあるものばかりでした。単に「子どもの成長を喜ぶ」や、ありきたりの「園や先生へのお礼」ではありません。それぞれの家庭の赤裸々にまっすぐな本音に心を打たれたことは、一度や二度ではありませんでした。このような皆さんの「願い」のような文章は、「感性豊かな心」がなければ受け取ることができません。読み手の責任が強く求められます。

若い先生達は、カナカナ通信を通して人生を学んでいます。家庭のあり方、家族の意味、ひとりひとりの生き様など、それぞれに「光」と「影」があります。「光」は共有しやすいですが、「影」は共感がむつかしいものです。感性豊かな強い心が試されます。

300号に載せられた今までの原稿にあったありのままの訴えや、生活の中で感じた率直さは、深く心に届くものばかりでした。それらが子どもライブラリーの礎になっているのだと確信します。ここは乳幼児の教育・保育の場でありながら、人と人の出会いの場所だとも言えます。

時の流れに達観して、「行き交う人はみな旅人なり」と言われます。しかし、行き交う人は、みなその痕跡を残しています。床にも壁にも階段にも柱にも・・・。

そこにある数々の物語は、記憶を失くしたものもあれば、強烈にとどめているものもあります。全ては残りません。残す必要もありません。それを選ぶのは次の世代の人々です。丁寧に重いバトンを引き継ぎたいと考えます。

さて、出会いが続く限り、カナカナ通信は発行されます。次の300号記念があるかどうかはわかりませんが、コツコツの積み重ねを続けていきたいと思います。

2023/12/08