CHILD LIBRARY 子どもライブラリー

「夏の雑感」

夏のニュージーランド行がコロナ感染症のため中止になって、3年になる。約30年間、私は日本の夏を知らなかった。南半球は、今は冬の季節。とは言っても、最北端にあるオークランドは常春の地域。昼間日差しがあると、半袖でも過ごせる。(南半球は北に行くほど暖かい。南端の大学の街ダニーデンは、すぐに南極なので寒い。)

私達の定住エリアは、戸建ての住宅のみ。郵便局もコンビニもない。マンションなどの集合住宅もない。電柱もないのでさえぎるものがなく、見上げると全部空だ。海が近いので、ヨットハーバーがある。ヨットは3人にひとりは持っているというほどポピュラーな乗り物(?)スポーツ(?)。ハーバーにはマーケットやレストラン、パブが揃っている。(パブはパブリケーションと言われるようにお酒を飲んで地域交流を楽しむところ。もちろん、夜は家族連れも珍しくない。ビールやワインを片手に立ったままワイワイしゃべる大人からちょっと離れた窓際のテーブル席で、子ども達が食事をしている。)

道路は広く、必ず両サイドに広い歩道がある。あとは、全面芝生のみ。日曜日は朝早くからあちこちの広い芝生グラウンドで、時間の経過に合わせて低年齢児のサッカーから高学年・大人のラグビーまで練習試合が行われている。右を向いても左を向いても広い芝生のグラウンドを、子どもも大人も走り回っている。そのエリアにテニスコート、女子用のネットボールコート、スケボーコート、スイミングプールなどが揃っている。ダンス、バレエの施設、バスケ、バレーボールの体育館等、本当に彼らのスポーツ好きは半端ではない。ウォーキング、ランニングは、老若男女、日常茶飯事。自然たっぷりの住宅地から海岸、さらに丘へとどこでも楽しめる。

朝ヨットハーバーまで歩いて洒落たカフェでゆっくり海を見ながらモーニングを食べて、帰ってくるというのもおすすめだ。(卵料理は4種から選べる。カフェラテはボールで飲む。ロングブラックは熱湯を追加注文すること、そしてポケットに15NZ$を忘れないで・・・。)

 

・・・とまぁ、こんな風な30年間だったが、日本の暑い夏にもそれなりの過ごし方がある。今年は「本を読む」ことにした。いきなり500ページ超を3冊ドカッと用意した。タオルで汗をふきながらページを繰るが、暑さでボーっとしてくる。ただ、字面を追いかけているだけの時間が過ぎる。「これではいけない」と熱いお茶の準備をする。暑い時は熱い飲み物に限る。付き合ってくれるのは栄養士の木原さん。彼女はあっさりとしていつもさわやか。「お茶を入れようか?」と私が尋ねると、パソコンの手を止めないまま「濃い目でお願いします」。私は彼女の好みをすっかり把握している。80℃ぐらいに置いたお茶は旨い。しかし、すぐに汗となるので、もう一本タオルが必要になる。本を読み続けるが、こんな風だから、なかなか筋立てが頭に残らない。「フーウ」という感じだが、決めた以上やめるわけにはいかない。次の500ページ3冊が反対側に積んである。

 

それでも時に全身のアドレナリンが噴き出すような文章に出会うことがある。たとえば、文明化されていない民族をリサーチしている教授の報告。

教授  「あなたたちにとって太陽は神様ということですか?」

村の長老「太陽は神ではない」

=しかし、どう考えてもその村は太陽神仰の証があちこちにある=

教授  「・・・・・しかし・・・・・」

村の長老「太陽は神ではない。太陽の昇る瞬間が神なのだ」

こうなると、読み続けるエネルギーが再びわいてくる。本を持つ手に力がこもる。

 

私は、昨年カナカナ学習会で次のように話したのを覚えている。

『子どもの孤独は、子どもの神性の表出である。』

子どもは誰のものでもない。子どもが属するのは子どもの世界のみ。私達大人社会の中では、彼らは異邦人と同じ。文明化された社会で子どもは生きていけない。そこで子どもは躾けられ、教育され、その時の価値観で教化されていく。その過程で子どもの神性は間違いなく失われていく。

それでは神性は必要なのか?という疑問が出てくる。神性は自らの立つ位置を客観的に示してくれる道標のようなもの。これを失うと人は自我肥大、即ち「ゴウマン」になる。圧倒的な力を持つ太陽は神ではないと長老は言う。「昇る瞬間こそ神なのだ」と続ける。どのような世俗の力とも距離を置いた「至言」だと私は思う。そして、子どもはその世界で生きている。

だから子どもは本質的に孤独な存在なのだ。そこに無限の力と可能性がある。大人が愛情という言葉を借りて過剰に抱き寄せ、守り、可愛がり、教え、導くことで、子どもは世俗化していく。当然、神性はうすれ、可能性は細り、平凡均一化の大人社会にのみこまれていく。文明社会において、子どもの大人化はあっても大人の子ども化はありえない。それが文明社会ということ。文明を放棄したらどうなるか?おもしろい試みだがさて何人の大人が生き残れるか・・・。

 

本にもどらねば。次の3冊の山に手を伸ばさなければ夏が終わってしまう。(この頃8月18日)午前・午後の5~6時間の読書タイムに早朝の1時間を追加することにしよう。これで一気に・・・。

しかし、朝のサッカーは捨て難いし、石亀の赤ちゃんが産まれたという子どもの声も気になる。雑念には事欠かない。集中は遠い。ふと、ニュージーランドの馴染みのカフェの朝モーニングを思い出した。「時間は動かない」をその時実感して、教わった。「時間は動かない。動いているのは自分自身。自分のその時の心理状況で時間は早くなったり遅くなったりする。もっと早くとか、もっと遅くとかの勝手な欲求がそこに生まれる。勝手なのは自分であって時間はいつも動かないでそこにある」・・・と、その時は達観したつもりだったが、すっかり忘れていた。人間が薄っぺらい。賢くない。ページがすすまない。それにしても暑い。

2022/09/03