CHILD LIBRARY 子どもライブラリー

「多彩・多様」そして「多感」

【書き下ろし新刊】

久しぶりの書き下ろし新刊が、来年2月に発行される。いつも担当してくれていた編集者が退職して、新しい出版社を鎌倉で興した。その新出版社の創立初版となる、今までにないスタイルで新鮮。おもしろい内容になった。その巻頭文に、私は次のように書いた。

 

「わたし」と「あなた」と子ども

 

私は保育者です。そして、あなたは子どもの親です。保育者としての私は、集団保育という視点で子どもを見ています。一方、親であるあなたは、ひとりの我子と密度濃く向き合って、子育てをしています。「集団保育」と「個人の子育て」ですから、子どもに対する考え方や経験は、私達はお互いに当然違うだろうと思います。

ところが、親の就労や幼児教育への期待などにより、私達がまじわる時があります。そこに、保育園・幼稚園・こども園が生まれます。親は、自分の子どもを目的を持ってそれらに預けます。しかし、親と子どもが辿り着いた園は、基本的に「集団保育の場」です。一対一の家庭の子育てとは異なります。

そこで大切なのは、「子どもをどう育てるのか」という子育ての基本方針です。このことをお互いが理解し、共有・共感することで、はじめて「よろしくお願いします。」「わかりました。」と、信頼関係ができるのだと考えられます。

 

しかし、親と園が子育てにおいて納得し、円滑な信頼関係ができたとしても、そこに預けられ、通園するようになるのは、子どもです。子どもは、親や保育者に守られ、保護されていると同時に、個の人間として主体的に生きている存在です。

ということは、いくら親と保育者が「子育ての方針」において共有・共感できたとしても、その方針通りに成長してくれるとは限らないということです。

 

親と園の最初のスタートは円滑でした。親は園の保育方針が気に入り、園は保護者の好意的な態度に満足していました。ところが、実際の保育がはじまると、みんなが期待しているように子ども自身が育たない、育ってくれない、結果が違う、目標に届かない・・・と、困ったことがあとからあとから起こることは充分に予想できます。それが度重なると、親は「園の教育・保育の実践レベルの低さ」を問題にし、保育者は「子どもの資質」を挙げて反論するということにもなります。

 

そこで、この本では、「親の視点」と「保育者の視点」を並立させて、ひとつのテーマを違った角度から考えてみようと思います。そうすることで、親の願いと園の方針だけでない、ひとりの子どもの育ちの複雑さと多様性が具体的になるのではないかと期待しています。

そして、大人が子どもを「どう育てるのか」ということと、子ども自身が「どう育つのか」ということは違うんだということを明らかにしたいと思います。そのことを通して、私達大人が、子どもの人格を認め、共に生きていけるような家庭や社会を目指したいと考えます。

 

【多彩・多様】

子どもライブラリーは、常に親と共にいたいと考えている。ひとりの子どもの姿、ある場面を違う立場、異なる視点で見ながら、お互いそれを共有することを目標としている。子育てを「自分だけのもの」にしてはいけない。保育を「一方的な指導・教育の世界」に閉じ込めてはならない。

子ども達を多彩で多様な環境で育てる。そのためには、私達大人がお互いを信頼し、お互いの視点、考え方を理解し、尊重し合える関係性がまず求められる。

まもなく、「夜のクリスマス会」が実施される。いつも言うように、「狭い」「寒い」「見えない」と、3つの悪条件は今年も変わらない。

それが物足りない人は、遠慮されることをすすめる。しかしながら、「数あるライブラリーの行事の中で夜のクリスマスが一番好きです」とおっしゃる根強いファンは増える一方だ。

 

【「多感」】

「何故?」私は思う。保護者との信頼関係は、「多彩」「多様」で共有されている。そして、行事は「多感」で共感されている。物足りない人は、「多感」の谷間に埋没しているのだと思う。

「きゅうくつで、寒くて、自分の子どもが見えない」時に聴こえる我子の歌声にこそ・・・と秘密に出会った人は幸福だ。ここに根強いファンが集まる。増えていく。まさしく、前回のカナカナ学習会で話した、「見ることは聞くこと、聞くことは味わうこと、味わうことはさわること、さわることは見ること」の感覚統合の世界観である。

今年も間もなく不思議であっても手応えのある真実?の時間がやってくる。とても楽しみだ。今年のストーリーテーリングのおはなしは、「くつやのハンス」。ちょっと長いが、子ども達が楽しんでくれることを願っている。

2021/12/09