CHILD LIBRARY 子どもライブラリー

「新年早々・・・・・。」

まるで竜が暴れて火を噴いたかのようだ・・・。2024年は、能登半島地震と羽田の空港事故で明けた。

1月3日に金沢の懇意にしている園長と連絡できた。 「小松空港(自衛隊の基地がある)から北北東の能登半島に向けてひっきりなしに上空をヘリが往復しています。金沢は電気も水道も無事です。しかし、TVで被災地の状況を観るだけで涙が出ます。」とのことだった。

石川県立の保専の同窓会の会長は、「私達に何ができるか今はまだわからなくて・・・。能登から多くの職員が金沢で仕事をしてくれています。お正月で帰省している人も複数いて連絡がつきません・・・絶句。」

別の園長は、「道路が波打つのをはじめて経験しました。とても恐かったです。2日に園に行って倒れている、落ちている物を片付けて、4日からの保育に備えますが、職員が出勤できるかどうか?子ども達が登園できるかどうか?」

また、輪島市出身の園長は、「朝市場の古い漆塗店に母親をひとり残している。一帯が全部焼けたので、安否がわからない。道路が寸断されているので、確かめに行くこともできない・・・。」 何とも返事のしようがない。

そして、私達の友人の谷屋園長は、丁度能登半島の入口、志賀原発から車で約20分の実家へ帰省中に震災に襲われた。「水道が止まって難儀しているが、実家は無事です。」と話すことができた。

「避難所には行かないと言い張る頑固な父親と、帰省した娘に物資の乏しい中、おいしい物を食べさせようと配慮する母親に気を遣います。」ということだった。とりあえず安心。5日に復旧したJRサンダーバードで無事に姫路に戻ることができた。

 

私は飛行機はよく利用する。出発時、滑走路まで進入路をゴトンゴトンという感じでゆっくりと自力走行する。そして、滑走路手前で必ず一時停止する。順番待ちである。けっこう長い時間待たされる時もある。そして、やがて再びゴトンゴトンと動いて滑走路に入る。この時90度ほど大きく旋回する。そして再び停止する。この時の停止は短い。 いきなり出力が上がり、ゴオーという音と共に体に圧力がかかる。一気にスピードが上がり離陸する。着陸時はこの逆になる。窓から地上が水平に見られる頃にドンと地上に降りる。その後急速に体に圧力が加わって一気に機体はスピードを落とす。この離陸と着陸の間で竜が火を吐いた。

私は今まで大きな事故の経験はないが、充分に想像はできる。離陸と着陸時の圧力を体が覚えている。身動きできない状況での事故を考えると、身がすくむ思いがする。

年始早々にとんでもない災禍・事故が続いたが、時間の経過と共に少しずつ悲惨さはうすれていく。報道も小さくなっていく。しかし、当事者が受けた心の傷は変わることはない。息長く支援していくために、私達にはこの当事者意識が必要だと考える。

 

何とも落ち着かない状況の中で、子どもライブラリーの園舎取り壊しが9日より始まった。思い出深い建物だ。床も壁も殆ど木でできていた。しかも、分厚い節のある松材を使用している。ツルンとした新建材に比べて趣がある。味わいがある。重みがある。

現在はこのような材木の使用は認可園として認められない。子どもにとって「安全・安心」が最優先され、建築基準法、消防法などに守られて、子どもにとって危険のない快適な居住空間が創られる。

「趣・味わい・重み」は、どこか「不調和・隙間・斜めの空間」を伴っているものだ。

まあ、時代は変わっている。35年前と比べても仕方ないこと。与えられた条件の中でちょっと先のことをやっていくのが子どもライブラリーの流儀だ。これからを楽しみに工夫していこう。

朝8時、子どもの声が仮園舎にもどってきた。クラス毎に先生に導かれて、仮設園舎の探検をしている。すぐに静かになるのは、子ども達が公園に出掛けたから。サッカーの第3ステージも始まった。お昼頃に腹を空かせて帰ってくる。給食のおばちゃん達は一気に忙しくなる。あっという間に食べる。偏食などない。その後再び静かになる。「あれ?いないのか。」と部屋をのぞくとグループ活動中。集中していると気配も感じられない。歌声も心地良く、風のように流れる。学年末にふさわしい。全く健康で健全な生活だ。

 

「さて、そろそろ園バスを転がして、子ども達を迎えに行くとしよう。」 変わらない日常に感謝して、責任を全うする日々を、3学期も共に過ごしたいと思う。

2024/01/19