CHILD LIBRARY 子どもライブラリー

「簡単子育て」でいいのですか?

先週、雪の徳島へ講演に出かけました。新幹線の岡山経由でしたので、時間がかかりました。後で教えていただいたのですが、三宮から特急バス(淡路経由)が早いということでした。今年度は、2回呼ばれ、2度共講演会は、全県からの代表者の方々で、皆さん熱心でした。おもしろかったのは、控室での会話です。そこで支援センターが未就園児の親子を対象にいろいろなイベント活動を実施しています。(姫路では、こどもの館や市民センター、保育園などが中心です)

徳島県だけではないのですが、要約すると、それらのイベントを上手に利用して、自分の子どもの教養活動のひとつとしている若い親が増えてきているということです。たとえば、月曜日はプール、火曜日は支援センターでリトミック、水曜日は幼児英語・・・という具合です。

子育て支援センターは、殆どが公的なもので、「若い親が子育てに行き詰って、孤立化しないように、またそこから発生する幼児虐待の防止をする」などの目的が盛られています。しかし、行政や国の関係者が想像するような、健気な困っている若い親ばかりではないようです。それよりも、前期したように、教養活動として上手に利用するというのが今風というか・・・。

そして、おもしろいことに、イベントだけでなく、心理サポートとして、「子どものことを考える」や「子どもと共に生きる」などのテーマになると、人が集まらないそうです。子育て相談もすっかり数が少なくなって、興味を持ってもらえないということです。唯一、子育て相談で人が集まる時は、「トイレトレーニングをどうやったらうまくできるか」「偏食をなくすための上手な食べさせ方」「落ち着いて座っていられる方法」などの具体的な「簡単子育て」を教えてくれるという時だそうです。

今年度も、私はカナカナ学習会で、「子どもにも気持ちはある」とか「子どもはつくられる」「子ども理解への道筋」などのテーマでお話ししました。たくさんの皆さんが、関心を持って集まってくださいました。しかし、現代風で言えば、残念ながらこれらのテーマでは、おそらく誰も関心を持っていただけないと思います。さて、ここから皆さんも一緒に考えてみてください。良い悪いではなく、何が違うのでしょう。

子育てにおいて、困ったときに「こうすれば」と具体的方法を教えてもらえるのは、とても助かります。必要なことだとも思います。でもそれは、子育ての入口にすぎないと私は思うのですが、いかがでしょう。それでは、入口の奥には何があるのでしょう。どこが出口になるのでしょう。

入口を入って、すぐ出口というような、浅く、薄い子育ては、簡単で便利なようですが、その浅さ、薄さを繰り返すことばかりになってしまします。入口から入って奥が深いと、自分で出口まで道を探さなければなりません。迷路を想像してみてください。これはなかなか大変です。自分を信じて、アドバイスを情報として、最後は自分の勘を頼りに、自分の力で出口を見つけなければなりません。しかし、無事に出口に辿り着くと、迷路のおもしろさが、経験として「わかる」というのも事実です。ごほうびとして、身についてきます。親が親になるというのは、こういうことではないかと考えます。

入口→出口を簡単に繰り返す「簡単子育て」では、親になりきれないのではないかと、心配します。「それで構わない。私はいつまでも若く美しくいたい、子どもを産んでも母親臭くなくて、おばさんぽくなりたくない」という声も「簡単子育て」からは聞こえてきそうですが、さて、皆さん、こんなことをどのように考えていらっしゃるのでしょう。「親になる」意味って何なのでしょう。

このようなテーマで参加人数が減らなければいいのですが・・・皆さんの複雑な迷路へのチャレンジに期待しています。

 

昨日は、雪の金沢から今年度最後の講演旅行から帰りました。これで、いよいよミュージカルに集中できます。皆さん、気合入れていきましょう!!!

2014/02/19