「言葉の力」
言葉は、すべての人に与えられたコミュニケーションの道具ですが、使う人の感性によってこんなにも違うのかと驚きました。いきいきとした言葉を使える人、生み出すことのできる人は、心という内面が大きく激しく動き、それでもどこか自分を見失わず冷静でいられるからでしょう。
自分勝手な言葉ではなく、人に伝える言葉は客観的でなければなりません。熱く活発な感情の世界と、冷静で理性的な世界と、そのバランスの中から人の心を打つ言葉というのはうまれてきます。
「温かき心と冷たき頭脳」ということです。
私は、皆さんの心に届く言葉を生み出すことができているのか反省毎日です。子どもたちに話しかけた時、「キョトン」とされることがあります。いけませんね。子どもたちは、園長の言うことだからと、 飲み込んで、黙って向き合ってくれていますが、やっぱりいけません。
その時、私は形ばかりで、中身のない権威で子どもたちを押さえつけています。「抑圧」は、子どもライブラリーの教育の中で、最もしてはならないことのひとつです。先生は、子どもたちの「キョトン」の合図に「ハッ」としなければなりません。私自身も同じことです。その子どもたちへの、無言の圧力を見逃さないようにするのが、私の感性だと心得ています。
その感性が鈍った時、私と子どもの心は離れてしまいます。それは、理事長や、園長や、大学教授という肩書に甘んじて、感性を磨く日々の努力を怠ることの惨めな結果です。
「子どもを心から可愛いと思える」ことを教えてくれたのは、ライブラリーの子どもたちです。その日以来、私の感性は研ぎ澄まされています。私は子どもを見逃しません。そして、私は、子どもに対して、「したこと」「言ったこと」を覚えています。子どもに対して説明することができます。
感性というのは、きっかけは、もやもやとしていたり、ピカリと光ったりするものですが、空気が落ち着いてくるときちんと捉まえて、客観的に説明が可能だと考えています。
子どもライブラリーというのは、こういう場所です。
ただし、すべてにこういうわけにはいかないのが私の我儘なところです。職員に対しては、忙しさに追われて、結構いい加減な話の聞き方をしたり、説明不足だったりと・・・・・。どうも評定はよろしくありません。
2012/05/09