CHILD LIBRARY 子どもライブラリー

「運動会の総括」のつもりでしたが・・・。

コロナ禍下2年目の運動会が終わりました。いろいろな制約がある中での開催となりましたが、ご家族、親族の皆様のご協力に感謝申し上げます。

 

運動会は、今年度初めての大きな行事になりました。新入園児の皆様には、子どもライブラリーの目指す教育・保育について、イメージがふくらんだのではないかと思います。ひとつひとつの競技は、子どもの成長を「見える化」したものです。「速いのか、遅いのか」「こんなことができるようになったのだ」「友達の中でどうしているか」「先生の指示に従っているか」など。それらのことを確認することは、子育てのひとつの結果として、親にとってわかりやすい客観的な情報です。・・・と、運動会の意味やねらいを具体的に書こうと思ったのですが、筆がすすみません。

 

運動会をもっともらしく教育的に解説することは、ひとつの価値観を押し付けているようでためらわれます。子どもライブラリーの実践活動は、相対して、比較して、評価するのもちょっと違うかな、とも思いました。余分な概念を排除して、「子どもを真ん中におく保育」を考えると、運動会という大きな行事もあんな風になると・・・。さて、それをどのように説明したらいいのか「困ったな」と、筆が止まりました。

 

そのような中途半端な数日の後、21日の夕方、机の上に今号のカナカナ通信の「保護者原稿」が置かれていました。それを読ませていただいて、ちょっと目が覚めた思いです。

 

(原稿❶ 年長児)

「夫婦で覚悟を決めて、むつかしい子どもを育てる大変さと喜びと。それでもどこか冷静で水の面のような心境」に感服しました。

 

(原稿❷ 年中児)

「男の子2人を育てる母は、同じクラスの子どもの家庭の不幸に出会った時(丁度1年前になります)、親身になって家族替わりをして、お世話を惜しまなかった」ことを、私達はよく覚えています。それでも、子どもライブラリーに出会えてよかった。と言って下さることに、心の広さを感じます。

(原稿❸ 年少児)

「3歳児の女の子の母親は、個人情報にもかかわらず、きちんとカミングアウトされ、子どもとの生活の道筋と成長を親としての視点で書いてくれました。」私は、このご夫婦と子どもに初めて面接で出会って、おとうさんがあっさりと「私の肝臓を提供しました」とおっしゃった時、その凄さに圧倒され、「それって命がけですよね」と、言葉を絞り出して涙したことを覚えています。

 

それぞれの原稿に書かれている内容に重みがあるからこそ、先日のような運動会ができたのだと納得しました。

私がもっともらしく、意義やねらいを分析して、説明して、「子どもってこういうものだ」とか「家族の在り方」を語るよりも、これらの3つの家族の原稿を読めば、あの運動会の熱気と感動の秘密が全てわかると思います。

ここに、子どもライブラリーの真骨頂があります。

まだまだ一般的に運動会は、子ども達のパフォーマンスを楽しんだり応援したりをする傾向が、色濃く残っています。しかし、今回運動会に参加した人から気の利いたひと言を聞きました。「保護者席って、見学したり、応援したりする場所じゃなかったんですね。次の競技の待機席だったんですね。」

ひとつの競技が終わって退場門を出て、すぐに入場門に走って行くおとうさん・おかあさんは珍しくありませんでした。3世代が集まって、みんなでつくる運動会の象徴的な1コマでした。また、見知らぬおじいさん・おばあさんに連れられて走る子ども達は、やっぱり運動会の主人公でした。お年寄を気遣って走るのを見ていると、大人に守られて、大人を信頼して、楽しんでいることがよくわかります。賢い子ども達です。本来、大人と子どもの関係はこうあるべきだとも思います。

 

よく考えると、さまざまな場面が思い出されます。その話題が尽きることはありません。「我が子の活躍」だけでなく、「みんなの活躍」には、物語がいっぱい生まれるということでしょう。

そして、私達職員は、その物語のバトンこそ次の学年にきちんとつないでいくことが、責務として求められています。私達は、保護者の皆様と子ども達に育てられているんだと、つくづく実感しています。次は、保育参観、そして皆さんの大好きな「夜のクリスマス」を準備します。まだまだ物語は生まれそうです。どうぞ楽しみにしていて下さい。

 

*カナカナ学習会は、運動会のプログラムからクラス毎の育ちの到達点の解説をします。ひとりひとりの子どもの冷静な評価の参考になると思います。

4月から半年経ちました。個人差が顕著になってもきています。ひとりひとりの育ちの凸凹の穴埋めをしっかりしておきましょう。

2021/11/06