CHILD LIBRARY 子どもライブラリー

一夜明けて

運動会は全国に数多くあるが、子どもライブラリーはいつも「子どもを見せ物にせず、いかにして家族で楽しめるか?」をコンセプトに計画する。従って毎年同じ競技は殆どない。と言える。

毎回定番の競技は、年中行事の消化として考えると簡単で、労力もさほど必要ない。先生達も頭をひねって、あれこれと考えを巡らせることもない。淡々とこなせばいい。

しかし、それでは今年の子どもとご家族に申し訳ない。今年だけの1回限りの運動会を創るというのは、譲ることができない皆さんへの責任と考えている。

 

テーマに沿って競技を考えるが、この段階で重要なことは、「おもしろがる」ということ。勿論そこに子どもの視点を欠くことはできない。

入場門は、旧園舎と新園舎をモチーフにしている。製作までに旧園舎の多くの写真を参考にし、記憶を呼びもどし、卒園生に確認をし、と下調べにけっこう時間を費やした。新園舎は新しい図面とにらめっこ。現場監督に話を聞くことでイメージはふくらんだ。先生達の製作の技術は並ではない。親子ミュージカルの舞台道具で私達はプロにきたえられている。それらの知見と経験が生きている。子ども達はそのような先生達の仕事を間近に見て、いつしか巻き込まれて、想像力をふくらませていく。準備に心をこめた分だけ完成度は高い。

 

プログラム1番の全員体操は、幼児のテンポと振付に合わせると、乳児がお客様のように立っているだけになってしまう。そこで、乳児と幼児の体操を分けることにしている。乳児にできることは何なのか?どの子どもも大切にするということに関して、私達の知恵と工夫が試される。

かけっこは、年少組以上は約80mのトラック1周と決められている。初めての子どもは多い。コーナーを曲がることの意味を体が覚えるのに時間のかかる子どももいる。競争だが、競争だけでもない。出走のチームと順番を覚える。スタートラインに立つ。じんろく組のスターターを見る。笛を待つ。(フライングは許されない。不公平だからというわけではない。段取りと秩序を学ぶためだ。同じかけっこでも子どもライブラリーのねらいは奥の深いところにある。)

 

競技は、アイデアが生まれて仕上がるまで二転三転する。オリジナルの道具は厄介だ。デザイン、大きさ、重さ、とそのクラスの子どもに合ったものが求められる。しかも、同じクラスの中にもいろいろな子どもがいる。どの子どももできるものでなければならない。そして、やはりここでも大切なことは子ども達が「おもしろがれる」かどうかだ。

進捗状況に合わせて、保護者有志の協力もいただく。くまのこ組には、なぜか「かまきりオヤジ」と「虫捕り女神」がいた。(じんろく組の手伝いがかぶっていたバッタは、先生達のアイデアの結晶。)

いちべえ組にはバスケのディフェンダーの父親が6人もいた。(みんなクラブチームのユニフォームなのがナイス。これらはある父親からお借りしたもの・・・。)車椅子の選手は先生達の力作だ。

 

じんろく組の親子競技は、いきなり運動会らしいスピードと騒々しさで盛り上がった。

父親(青大将)競技は、延々と走り回り夜まで終わりそうになかった。祖父母は知らない孫と手をつないで走るのがとても楽しそうだった。小学生は全員正解というハプニング。

じんろく組の親子ダンスはさすが・・・。運動会に、おもしろい、楽しい、華やか、だけでなく、感動するという不思議な体験の場面を提供してくれた。

 

リレーは、練習段階からチームの順位が常に入れ替わるのがよかった。子ども達には、チームでがんばれば順位はわからないこと、固定席はないこと。それらが刺激となって、練習の意味をよく理解してくれた。

保護者リレーは、親同士のコミュニケーションの機会。面識のない人と喜んだり、ガッカリしたりする経験が期待される、貴重な場となる。・・・・・はずだったが、みんな一番になりたくてムキになる。まあ、それでも負けたあともお互いをたたえ合って、チームでハイタッチをしていたのは、微笑ましかった。

 

さて、運動会が終わって「運動会ロス」に浸っている余裕はない。まず週末のカナカナ学習会の内容を整理して、皆さんとこの体験を共有して、子どもの育ちを確認しておきたい。

特に赤いTシャツを着たじんろく組の活躍は目を見張るばかりだった。運動会の運営に年長児を参加させる。しかも、単純な手伝いではなく、ほぼ真ん中にいて進行する。・・・この発想が新鮮だと思う。そして、やり切る子ども達がすばらしい。日々の保育の中で培われる、「自分で考えて行動する」ことのひとつの証となった。

そして、いよいよインドアの活動の時期となる。まずは仮設の保育参観、夜のクリスマス会の流れを作り出さねばならない。挑戦はまだまだ続く。ゴールは近い?

2024/11/02