今年の夏は・・・・・
恒例の「なつまつり」の準備が本格的になってきた。仮設園舎にもかかわらず、やるべきこと、そして今年だけのオリジナルの準備が着々とすすんでいる。
新学期から3ヶ月が経った。新入園児の子どもたちも少しはたくましくなってきた。毎日の公園あそびが功を奏して、汗ビッショリになってもへこたれない体力と、それでも話を聞こうとする集中力は、一段とレベルアップしている。
「子どもはつくられる」というのは、今月のカナカナ学習会のテーマだが、何がつくられるかと言うと、基本的には「脳内環境」のことだ。体をつくるのは、即ち脳が活性化するということ。脳が活性化するためには、多様な経験刺激が必要になる。
「子どもに教えてはならない」といつも学習会で話す。「教える」ことは、即ち脳内を単純化し、経験の刈込み(取り)が急ピッチですすむことと同じ。複雑であること、多様であることが脳を太らせる。
これらのことは、具体例を交えて、わかりやすく何度もおはなししてきた。しかし、なかなか聞く耳を持ってもらえないケースもある。
なぜか?理由は簡単だ。親が自分自身の生活の質を変えたくないからだ。親の快・不快が、そのまま子どもの快・不快になっている。これでは充分豊かに育つはずがない。
夏は暑い。公園で汗ビッショリになる。時々着替えるも、あっという間に汗になる。お茶をガブガブ飲む。また汗になる。1時間も経てばカビが繁殖して臭う。いわゆる汗の臭いだ。午後、降園の頃、子どもは汗いっぱいで臭う。(この臭いはクサいぞ。)
「おかえりなさい」と出迎えた時、この子をしっかりと抱きしめることができるだろうか?勿論抱きしめると、親側にも汗がベットリと移る。臭いも移る。この時忘れてはならないのが、子どもは決して不快ではないということ。むしろさわやかだ。つまり、親の快と子どもの快、親の不快と子どもの不快は、違うということだ。できれば子どもの快を共有したい。喜び合いたい。一緒に笑いたい。
先月、「かしこい体と丈夫な脳」の話をした。まさしく、夏は「丈夫な脳」をつくる絶好の機会だ。
「丈夫な脳」とは、よく働く脳のこと。教え込まれた都合の良い情報だけを頼りにせず、「自ら考える」ことを好む脳のことである。自ら考える(自主性・主体性)は、自信になる。喜びとなる。これを「自己肯定感」と呼ぶ。
親の快・不快の基準で、子どもの多彩で多様な経験の機会を制限してはならない。子どもの未来の経験値は、それでは育たない。夏は生まれ変わるチャンスだ。「かしこい体」は、暑さへの順応力を言う。そして、「丈夫な脳」は暑さによってつくられる。
私は老人だ。世の中は私にやさしい。「冷房を適切に使い、のどが渇く前に水分をこまめに摂る」ことを教えてくれる。しかし、私は自宅で冷房は殆ど使うことはない。水分は常にガブ飲みしている。そして、冷たい飲料、食べ物は一切口にしない。(ビールだけは例外だ。ここに勝手さがあらわれている。反省。ただし、ビールも日本酒もほぼ常温で飲む、その方が麦の味がわかる。米の味がわかる。)
健康のために・・・というのではない。冷たい物はおいしいと感じないからだ。熱いお茶の方が余程うまいと思える。
夜寝苦しくて睡眠不足になったとしても、心配することはない。3日も続けばその次の夜はどんなに暑くてもグッスリと眠れる。要するに、目の前にある簡単な「快」には飛びつかないということだ。興味がない。暑さは受け入れるのみだ。
「快」は自分で工夫して獲得するもの。そのプロセスがおもしろい。その工夫が楽しい。与えられたものはうすっぺらい。そこに自分の居場所は見つけられない。
子どもが自分で見つけたダンボールをズルズル引っぱって、すみっこに基地を作って、そこにチンマリ入り込んで悦に入っている。その気分と同じだろう。
さて、今年の夏はニュージーランド学校訪問で、2週間日本を離れる。久しぶりだが、旧知の先生達はどうしているのか?会ってワインパーティーがとても楽しみだ。ディーブのラムステーキ、グラニアのラザニアも期待できる。パブでみんなで騒ぐのも悪くない。週末はダイアンのビーチハウスに招待されている。・・・とは言え、ホームシックの小学生に振り回される覚悟もしておかねばならない。どんなことにも結果でなく、プロセスがおもしろい。楽しい。それを味わえる旅となればいい。
帰国後は、今年も積読(つんどく)解消のため、本を読む。熱いお茶を飲み、汗を流して、本を読む。上半期にためこんだ本を読む・・・・・予定だ。
2024/07/22