CHILD LIBRARY 子どもライブラリー

子どもに対する責任 =親子ミュージカル顛末 第1章=

今年の親子ミュージカルは、『時の精霊』。ようやく物語の骨子が固まって、細部に取り掛かるところ。練習は、先週7日より始まっている。曲は約8割ぐらい。残りは物語の進捗に合わせて選んでいく。

・・・と順調にすすむ予定だったが、Big Explosionが起きた。事の発端は、「2023年は園舎建替工事まっ最中のため、親子ミュージカルは中止となります」という今年度のいちべえ組(2023年度じんろく組)への説明だった。たくさんのいろんな気持ちがぶつかって火花を散らし、暗闇をさまよいはじめた。それぞれの気持ちに光をあてると、再び爆発するという有様で、数日が経った。夕方のクラス会の後、「いちべえ組の子ども達も今年は親子ミュージカルに出演する」という提案で1歩前へ進んだようだが、それぞれの気持ちはやはりただよい続ける。

 

最初のいちべえ組の見学日、緊張した顔付きで、武道館のはしっこでチンマリと集まって、じんろく組の子ども達のダイナミックな練習を見る子ども達。それを囲むようにして、もっと緊張した顔で、肩に力の入っているいちべえ組の3人の先生達。突然の展開に、子ども達も先生も「我を忘れて」という状態はわかるが、普段見えないクラスの垣根もそこに見えた気がした。

どの先生も自分のクラスの子どもを一番可愛がる。その子ども達の親と一番よく話をする。信頼も生まれる。「子どもライブラリーは、どのクラス、子ども、親とも、分け隔てなく、責任を持ってかかわる」と、理念を掲げている。しかし、先生にも人としての気持ちがある。実際は、やはり密度濃くかかわる自分のクラスの子どもとの距離が、もっとも近くなる。

それをふまえて、「さて、垣根をどうしたものか・・・」というのは、私の杞憂だった。

 

その日の夕方、じんろく組といちべえ組の担任6人が集まって、何やらヒソヒソ    ミーティング。そして次の日、「クラスに関係なく、6人の先生でじんろく組いちべえ組の子ども達全員をみることにしました。各クラスに発達のむつかしい子どももいます。その子ども達にもクラスに関係なく、全員が関わって支援することになりました。」と、主幹が報告してくれた。「フーン、そうなったか」と、ちょっと素っ気なく聞くふりをしながら、私は「みんなかしこい。」と、心の中でエールを送っていた。

またもう一歩前に進んだが、保護者も含めて一枚岩というわけにはまだいかない。人の気持ちはそれほど簡単ではない。ただよい続けている思いは無視できない。次の一歩はあるのだろうか・・・。

 

今回のことについて、私達は子ども達に対して何ができるのだろうかと考えた。今後親子ミュージカルを予定通りすすめるのは変わらないけれど、突然出演することになったいちべえ組の子ども達、そしてある日から舞台で自分の横に立っている弟、妹にびっくりするじんろく組。一体何が起きたのかを説明して、納得させる責任が私達にはある。ここでも「どうしたものか・・・」と考えた。このことの方が手強いとも思えた。

 

話は変わるが、たとえば 「メロンパンを食べたい」という子どもがいる。「甘いものはもうちょっと大きくなってからね」と親が悟す。不承不承で子どもは引き下がる。この関わりに子育ての大きな秘密がある。「メロンパン食べたい」というのは、子ども自身の言葉ではない。子どもの本性が子どもに言わせている。脳が自分自身の栄養素を求めているだけだ。一方で、「大きくなってからね」という言葉に反応するのは、育てられた人間性だ。脳の側頭葉と、同じ脳内にある海馬と前頭葉の、ぶつかり合いということになる。その葛藤の中で、子どもは単なる動物から人間に変貌していく。

親子ミュージカルの練習も同じこと。本性のままの子どもは、「外にある答え」に気付かない。自分の見たもの、聞いたものを、自分勝手に解釈してしまう。こうなると調和できない。配慮できない。協調性がない。自分の間違いに気付かない。舞台の練習は、その本性のままの子どもに、葛藤を生み出す経験をさせる。前頭葉に、客観的な情報を与えて、考える力を刺激する。外から見えない心の中でのぶつかり合いが、子どもの成長を促す。

 

練習の間に、いちべえ組のひとりの男の子の体を触った。熱く、固い。緊張して血流がさかんになり、筋肉も硬直している。「闘いモード」に入っている証拠だ。これでは舞台で演技はできない。ここから「闘うモード」を柔げる。「考える力」と脳内(海馬)のブレーキを活性化させる。その結果子どもの中でバランスがとれ、不必要な緊張から解放されて、さわやかに自信が生まれてくる。

親子ミュージカルの1ヶ月の練習は、このようなプロセスを経て、ひとりひとりの子どもの精神となっていく。いちべえ組にしてもじんろく組にしても、その年齢に応じた「本性」からの自由を目指して、私達は指導を続ける。

 

そういうことなのだと思う。今回の舞台制作について、子どもに対する責任は、「説明」でも「納得」でもなく、一緒に作り上げていく中で、子どもに自己変革の方法と結果を示し続けることだ。先生達全員と保護者と共に、それをやり遂げる。今回の顛末の子どもに対する責任とは、こういうことなのだと思う。

2023/02/24