父親学習会の「学び」について
毎年6月、夏の入口で実施される「父親学習会」。日曜日の朝8時45分に集合して「あそぶ」というのも、けっこう決心と勇気がいる。勿論その中には、「妻に言われたから」「家内が厳しく言うので・・・」と、しぶしぶ参加したというお父さんもチラホラいる。正直だが、心も体も重そうだ。
今年は播磨灘こども園から7名の父親と5名の先生も参加した。全く知らない園の行事に時間をかけて出席するのも、すごいな~ぁと感心する。熱心だ。(昨年から月1回のカナカナ学習会および保護者サッカーにも参加してくれるようになった。姫路の同じグループ園で交流するのはいいものだ。)
まず、クラスにわかれて「雪合戦」。はじめは要領がわからなくてモタモタしていたが、徐々に動きも機敏になってきた。それに合わせておもしろさがわかってきたのか、生き生きとしてくる。
「おもしろさ」の感じ方には個人差がある。全員が同じようにおもしろいと思えるかどうかはわからない。ボールをムキになって相手に当てようとする人は、当てられた時の悔しさも大きい。熱い勢いと落胆の差が大きければ大きいほど、おもしろさは倍増してくる。
私は、「雪合戦」はあまり得意ではない。ねらったところにボールが飛んでくれない。よけたつもりがすぐに当てられてしまう。かくれてやりすごすのは悔しい。というわけで・・・。
次にハンター。これは全員走り回るので、また趣向が変わる。1回戦は先生達がハンターをした。あっという間に全員がつかまってしまった。走るのが速いとか遅いとかの問題ではない。頭を使わなければ勝負にはならない。戦術の組み合わせであそびの質は大きく変わる。という見本のような1回戦だった。そのあとお父さん達のハンターで大騒ぎが始まった。出入りが激しく、ぶつかり合う。転がり回る父親もあらわれる。3回戦までやってみんな汗ビッショリになった。
私は、「ハンター」も苦手だ。走るのが遅い。澤田先生に追いつかれてタッチされた時などは最悪だ。なので、ハンターが始まるとなぜか別の仕事が入る。
私にもプライドがある。
その後水分補給をして、2階に集まった。ひとりひとりに感想を聞いた。
「体力不足を痛感しました。」「意外とむずかしかったです。」「久しぶりにいい汗かきました。」「しんどかったです。明日は年休取っとけばよかったです。」・・・と、みんな好意的な笑える感想だった。それらに対して、少しばかり補足の説明をさせてもらった。
「子どもにとって、体を使うあそびは、「気晴らし」「ひまつぶし」ではありません。それは、大切な「学び」の時間・機会になっています。その『学び』の内身は多様性です。一方、集団で座って先生の話を聞く、お勉強するという『授業』は、知識・情報の強化の時間となります。
あそびの多様性は、残念ながら言語化できない。可視化できません。他方、知識・情報の強化の結果は、テストで知ることができます。採点することにより、客観的な評価もされます。一般的に子どもによる学びが『あそび』ではなく、『授業』にあると、大人が勘違いする理由が、この言語化・可視化・点数化にあります。」
「多様性は、脳の可塑性(粘土のような柔らかさ)につながります。脳の可塑性は、あそびを通して高められ、活性化されます。ひとりの子どもの、少なくとも乳幼児期・低学年齢期は、たっぷりとあそびを通して多様性を育てたいと思います。「学び」の知識・技術を専門的に特化していくのは、そのあとからで充分と考えます。スポーツと同じです。子どもの頃はいろいろな種類のスポーツに親しむことが推奨されます。総合発達が重要だからです。早い時期にひとつのスポーツに限るのは、技術偏重により伸び悩む、というのはよく言われることです。」
さて、「父親学習会」のあそびは、どのような「学び」をお父さん達に提供しただろうか?なかなか言葉でそのことを説明するのはむつかしいものだ。なので、あえて質問することはやめる。実際やってみて感じたことを大切にしてほしい。
また、やってみなければわからない複雑な心と体の動きについて、考えて欲しい。さらに、やりきったあとの心地よさを子どもと共有してほしい。かっこつけて、理屈っぽく、あれこれ子どもに知たり顔で躾たり、指導したりするお父さんにはならないように。
少なくとも一緒に汗をかいて転げ回った、参加してくれたお父さん達には、この願いが伝わることを信じている。
2023/07/10