CHILD LIBRARY 子どもライブラリー

父親学習会の学び

梅雨の晴れ間の「父親学習会」。考えてみれば、今年度初めての行事だったような気がします。コロナ禍の中でも、「できること」を模索しながらの日々でしたので、突然感はありません。しかし、やはりはじめて出会うお父さんも多く、新鮮な気持ちで迎えました。

朝9時30分。雪合戦、ハンターで汗を流して、教具室に集まりました。

「大人にとって本気の外あそびは、体力低下の再確認・・・。 というのが実感でしょうが、外あそびの意義はそこにはありません。」 と、いきなり視点を変えての話から始めました。

「ハンターや雪合戦の中で、逃げる、追いかける、ねらう、よける、半歩?いや2歩?という瞬時の判断は、どのようにされているのでしょう。」

それらは、頭で考えて、計算して、行動するというのでは、とても間に合いません。瞬時の判断は、とても感覚的なのです。

そして、その感覚はイメージの上書きによって磨かれていきます。

子どもにとっても、大人にとっても、ルールの単純な外あそびは楽しみなものです。心はハラハラドキドキして、勿論体力も使います。たっぷり汗をかきます。そして、結果として学習していることは、瞬時に対応できるイメージのさらなる上書きというわけです。

 

それでは、イメージの上書きがなぜ大切なのでしょう。知識・技術は必要なことですが、そこから出発すると、学習も仕事も達成感や充実感という喜びにつながるような、豊かな体験にはなりません。たとえば、どのような仕事でも、小さな方法、細かい仕様とするべきことばかりを並べられ、さらにその間違いを神経質に指摘されるようであれば、うんざりして、無気力になってしまいます。

そうではなくて、与えられた仕事の大きなイメージの説明を受けて、そのイメージの実現に向けて、知識・技術を駆使する。さらに、その使用の時と場所えらびは、自分に任されている。そのような仕事をしたいものです。

 

子育ての話に戻ります。

子どもには、細かい躾を繰り返し教えるよりも、生活全般のイメージづくりから体験させましょう。見る、聞く、考えることを通して、生活の意味を具体的に明らかにします。

「できること」 を増やすことを急いではいけません。むしろ、積極的に 「させない」 ことも大切です。

つまり、子どもが興味を持って、飛びついてやりたがっても、 「もう少し見ていようね」 「もう一回聞いてみようね」 と、待つことを促しましょう。大人は、自主性を育てるとか、積極的で意欲的な子どもを促成しようとします。しかし、皆さんご存じのように、促成はひ弱で雑く、のびしろは期待できません。まず、土台をしっかりと作らねばなりません。そのためには、子どもの側にいて、早くさせるよりも 「引き締める」 思慮が大人には必要な時があります。

「自分で考えて、できるようになる子ども」 に光があたるかと思えば、 「飛びつかず思慮深い子ども」 も求められる、ここが子育てのむつかしいところでしょうか?

しかし、よく考えてみれば、すべて一本道でつながっています。いろいろな可能性やうまい話を、都合よく次々に 「いいとこ獲り」 をしようとするから迷うのです。よく考えて、地道に、しんどいこと、目立たないこと、あたりまえのこと、めんどくさいことも、コツコツ積み重ねる忍耐力があれば、まっすぐにすすむことはできます。

迷った時は、子どもライブラリーの生活の組み立てを見てみてください。活動内容を思い出してください。今日の出来事を子どもに聞いてみましょう。カナカナ通信を読み返してください。必ずどこかにヒントが見つかります。

 

父親学習会は、男性ばかりでしたので、少し理屈っぽい話になりました。 ( 理屈は力強く、エビデンスを求めて論理的に色付けされますので、男性が好むのです。 ) しかし、理屈は人が、社会が、後付けに作り出したものです。従って、視点を変えると、別の理屈が生まれます。 ( エビデンスが変わると、理屈も変わります )

価値観は、その繰り返しで、良く言えば多様性となり、悪く言えば混沌となります。

しかし、子どもの育ちは、勝手に作り出されたものに左右されることはありません。理屈によって解釈が変わることもありません。子どもは愚直にあるべき姿を求めて、まっすぐに育ちます。

大人にとって ( 特に父親にとって ) その意味を体現するのが、父親学習会でした。雪合戦であり、ハンターでした。自分の知っていること、よしとすること、しないことという価値観に左右されることのない瞬時の判断を求められる感覚、そして、その感覚のイメージの上書きにより、見えてくる不思議の世界。この不思議の世界が子どもの世界とつながります。そしてそれは、私達があたりまえとしている大人の世界に、新しい視点を与えてくれるものともなります。

父親学習会で 「やってみなければわからん」 と、子どものあそび体験に挑戦することを蔑めました。 「やってみなければわからん」 というのは、単に子どものあそびのおもしろさ体験ではなかったと言うことです。

子どもからの学びは、大人社会の変革の一助になります。視野を大きくして、回りを俯瞰して考えてみれば、おもしろい発見があると思います。

7月のカナカナ学習会は、 「父親学習会」 「グループ懇談会」 のまとめです。

2020/07/06