「投票って?」
じんろく・いちべえ組のサッカー2ステージ(9〜11月)の投票が始まりました。初日は、投票待ちの子ども達がズラリと並んで不思議な光景です。注意書を読んで、無記名で各チーム子ども2名、先生1名に○印をつけます。投票の基準は、「2ステージ各チーム30試合で、もっともよくがんばった人」ということです。
先生の欄に、私の名前も入れてもらいました。今回は、前もっての選挙活動は禁止(前回は、○○先生が選挙活動をしてヒンシュクでした)ということでしたので、票が読めません。自分で自分に入れるのは可能です。従って、私も最低1票は計算できます。(当然、自分に投票しますよ!!)全部で何票入るか楽しみでもあり・・・?
ゴール得点と選挙票数を足して、2ステージのMVPが決まります。子ども達はもう、ドキドキして、この選挙期間の1週間を過ごします。
「子どもがえらべる保育」を日本各地で、先生方に講義しています。乳幼児教育、保育の世界では、わかっちゃいるけど、実際はなかなかできないという永遠のテーマです。「えらぶ」ことができなければ、「自立」はしません。「自我は、えらぶことで育つ」と、カナカナ学習会で何度も話しました。
子どもライブラリーの教育、保育はどうなっているでしょう。
保育環境として、子ども達が自由にえらべるコーナーが設えられて、教材、教具は常時120種類ぐらいあります。また、園庭では、様々なダイナミックなあそびも大人に決められたものではありません。トイレに行く時間を躾として、みんなで一斉に行く園は珍しくありませんが、ここではそれも自分で決めることができます。食事(3歳以上)も食べる時、人、場所を自分でえらべます。
唯一、グループレッスンの時間は、自分ではえらべません。しかし、保育参観でご覧になったように、グループレッスンは画一的なものではなく、ひとりひとりの発達の事情に合わせて先生が働きかけ、リードし、一緒に考えます。わかっていないのに、みんなと同じようにすました顔をしていることは、許されません。先生のそのあたりの子ども理解とつっこみは鋭く、子どもは、おすまし顔でぼんやりとはしていられません。
さて、子どもライブラリーは、最初に書いた「子どものえらべる保育」の重要性を認識して、保育を組み立てて、ユニークな環境とカリキュラムを生み出してきました。しかし、これだけでは私達の目指すものは半分に過ぎません。あと半分残っています。それは、「子どもが自ら責任を取る保育」ということです。「えらぶ」と「責任」はセットになって、本当の意味での「自立」になります。さらに繰り返せば、この「責任を取っていただきます」という教育、保育のスタイルが多くの先生たちにイメージしにくいことが、「えらべる保育」をむつかしくしていると言えます。簡単につけ加えれば「えらべる」ということで、好き勝手をすると「放任」教育、保育になってしまうということです。
サッカーの投票のことを書きましたが、想像してみてください。部屋のすみっこに置かれたテーブルの前で、ひとりの子どもが平仮名で書かれた名前の用紙を上から順に、ブツブツ言いながらゆっくり読んでいます。自分が「これだ」という友達に○印をつける。迷う子どもは、なかなかそのテーブルから離れません。そばを通る子ども達は「見てはいけない」と、わかっているのでしょう。わざと反対側に顔を向けて通り過ぎます。全く賢く、カワイイです。
人の気持ちや考え方は知りたいものですが、わかりにくくもあります。投票を通して、その結果が「気持ちや考え方」のあらわれとして、はっきりと数字で確認することができます。
子ども達には、自分と友達を客観的に理解することができる場となります。ここで、大切なことがひとつあります。それは、「競争」ではないということです。あくまで、自分と自分以外の友達の深い理解につながるということです。えらばれた子どもは、驕らず、みんなの「納得」を生み出します。「納得」は、客観性へとつながります。客観性は、自分の「えらび方」に対する自信や反面教師となって、その合理性、妥当性の評価を示してくれます。そのことから子どもは、「自らえらんだことへの責任」を自覚できるようになるのです。本当におもしろく、興味の尽きない投票の機会です。
毎日午後1時になると、変わらず3歳から5歳まで、全員のハンターがにぎやかに行われています。くり返し続けることで力がつきました。泣いている子、声だけではしゃぐ子は、もういません。みんな頭と体を思いっきり使って、ハンターを精一杯楽しんでいます。楽しいことは、子どもの「こころ」を育てます。子どもの幸福があふれている園であることを誇りに思います。
一方で、ねんねこ組は、スヤスヤとおひるね中です。
11月から12月へと、子どもライブラリーの充実した毎日が続いています。
2015/12/02