CHILD LIBRARY 子どもライブラリー

運動会「その前と後」

運動会前々日、教具室から「健康第一 はたらくぞ はたらくぞ」の歌が聞こえてくる。そのあと、じんろく組がダンス「花唄」を上手に歌っている。

運動会の体操を教わり、ダンスの指導を受ける。「見る」「聞く」ことによって、できるようになってくる。それは、どの子どもにとってもうれしいことだ。自信にもなる。しかし、先生達はさらに楽譜を取り寄せ、J-POPのむつかしい曲を練習して、声に出して歌うことを子どもに仕掛けていく。そうすることで、体操は、ダンスは、単に覚えて表現するだけでなく、子どもの「血と肉」となっていく。こうやって替え難い今年だけの運動会が出来上がっていく。

「思い出に残る行事」とよく言われるが、「ただ1回だけの血となり肉となる行事」というのは、あまり聞いたことがない。それが即ち子どもライブラリーの運動会の真骨頂だ。

・・・と原稿を書いていると、「理事長も花唄を一緒に歌おう」と子どもに誘われた。教具室に行くと、いちべえ組の子ども達がお客さんで座っている。そこにねんねこ組の先生達もお誘いで合流した。ピアノの前奏、そして子ども達の歌が始まる。美しい。向き合って聞いているお客様の先生は何度も涙をぬぐう。「何の涙だろう?」回りにはばからず顔をぬぐう。子ども達は一緒の輪の中でチラチラとその先生を見ている。「何を思っているのだろう?」答えが出ないまま気持ち良く歌は終わった。これも子どもライブラリーの教育・保育の本質のひとつだ。

 

連日安室公園に練習に行く。しかし、練習と言っても半分は築山を走り回ってあそぶことが目的だ。アップダウンのあるとても広い公園での「ハンター」はおもしろい。子ども達には大人気だ。「オイオイ、運動会の練習はどうなった?」と心配顔の私に、子ども達は「うん、それもするけどね」と平気な様子だ。昼頃に帰ると、「腹減った」とすぐに食事。そして、ドワーッと万国旗製作に子どもが集まる。すごい勢いで塗り始める。「何事も集中力」というのがよくわかる光景だ。

少しばかり複雑なむつかしい競技も、子ども達はすぐに覚えてしまう。そして面白がることができる。先生達の工夫にも力が入る。

 

皆さんすでにご存じのように、「先生はどうやってこんな競技を思いつくんだろう?」「入場門、小道具すべて完成度が高い!」と不思議がどんどん積み重なって準備はすすんでいく。

子どもライブラリーは現在「園舎の工事中」。それさえもおもしろがる。プログラムはいかがでしたか?入場門はごらんになりましたか?いちべえ組の競技のスコップは本物のようだった(現場監督がおどろいていた)。「土のう」は工事現場から頂戴した。ヘルメットは監督に貸してもらった。

今現実に起きていることからイメージを作り出して、それを子ども達と共有して、わかりやすく説明する。みんな自分のいまいるところ(現在地)がよくわかるので、安心する。だから一生懸命になれる。夢中になれる。これも子どもライブラリーの子どもに対する想いのひとつ。

 

運動会は楽しんでいただけましたか?カナカナでお話していたように、保護者の皆さんに見て、喜んでいただけるようなパフォーマンスはひとつもなかった。「かけ声ひとつで指先まで伸ばしてピリッと並んで・・・」というカッコ良さもなかった。

どの場面でも子どもはリラックスして、ちょっとゆるくて、真剣で、張り切って、一生懸命。私は「自分の子どもだけでなく、よその子どもも応援する」と言った。皆さん、そうしていただけましたか?

どの競技も「お茶を飲んでるヒマがない。見てなきゃ損。」というくらい、おもしろいアイデアが凝らされていた。結果として、「どの子どもも可愛いなぁ~」と好意を寄せていただけたと思う。

 

運動会にもいろいろある。評価は参加した人の「力量」になる。子どもの教育・保育として「何を良し」とするかは、ひとりひとりの大人の見識に委ねられている。賢い大人がいっぱいいて、守られて、その真ん中で生き生きと育つ子ども達の姿を体験していただいた運動会だった。その感覚を共有し続けたいと考える。

最後に、東京から来ていた雑誌の編集部長が「園と家庭を結ぶというのはこういうことだったんですね」と、感想を述べてくれた。また、ビデオ撮影のいつもの担当者が「おっきい家族って感じですね」と、終わったあとの片付けの時に言ってくれたのが印象に残っている。

書き切れないので、今月のカナカナ学習会は「じんろく組の活躍」について、その意義を中心に子どもの育ちを説明する。

2023/11/04