CHILD LIBRARY 子どもライブラリー

私たちに「何ができるのか?」

COVID-19の拡大により、緊急事態宣言が発出されて、自粛要請が続いています。近所の散歩を試みただけでも、地域が社会が停滞し、分断されていることが身近に感じられます。

この状況において、私達に 「何ができるのか?」 を考える日々です。

 

【 「教育を受ける権利」 】

学校が休業となり、学生の 「教育を受ける権利」 が侵害されているとして、オンラインとタブレットの授業という言葉をよく聞くようになりました。しかしながら、日本の学校は小学校から大学までオンラインとタブレットの授業形態・環境は充分に整備されていません。(デジタル教材使用率29%、双方向型オンライン指導率はわずか5%。=令和2年5月6日朝日新聞=)

一方で、一部の私学の整備状況が取り沙汰され、 「教育格差」 が広がると指摘する論も見られるようになりました。高校生の提案と併せてその延長に浮上したのが、ひとつの案としての9月新学期説ということです。

子ども達の学習の遅れと地域の教育格差を、学校関係者や保護者が心配されていることは、よく理解できます。そして、そのための施策が検討されていることも必要なことでしょう。しかも、緊急性を要します。

 

その中で、私はある小学生の言葉が気になっています。その学生は、 「学校休業の状態をどう思うか?」 というインタビューにこう答えていました。 「友達とあそびたい」。

学校休業の措置のあと、多くの学生が、復学して 「勉強したい」 と言います。そして、おそらくもっと多くの学生が 「友達とあそびたい」 と熱望していると想像します。

しかし、今話題になり、近々の課題は 「等しく教育を受ける権利」 です。先生達は職務として 「教授方法」 を模索し、保護者は要望として 「格差」 を問題視します。

でも、当の本人達(学生)は、この環境の中で奪われているものの一番は、 「友達とあそべない」 ことだと訴えている。子ども達にとっては、 “友達とあそぶ>勉強する” というのが実感でしょう。そして、この点がとても大切だと思うのです。

 

「友達とあそぶ」 というのは、子どもの心身の健康な発達にとって欠くことのできない必須条件です。あそびを通して身につく、開放されたのびのびとした精神と、忍耐強くがんばれる体力がなければ、主体的な学びを得ることはできません。

学校での学びは、従来 “友達とあそぶ<勉強する” と捉えられてきました。しかし、学校が休業となった今のこの状況において、子ども達にとって本当に必要なものが問われた時、 “友達とあそぶ>勉強する” という図式にあらためて気付かされたということです。

であるならば、オンラインとタブレットの教育環境が緊急整備されることを、いつになるかが予測できないそれを待っているよりも、今できることをすればどうかと提案します。

 

【今できること】

具体的にできることは、たとえば 「校庭開放」 です。学年と時間のプログラムを作って、3密にならないように工夫して、戸外活動つまり 「友達とあそぶ時間」 を提供するわけです。教室での活動は最少限度として、ひたすら戸外で友達とあそぶ。授業はしません。子ども達が必要としている一番は、 「友達とあそぶ」 ということです。その場所、時間を確保します。教室の中で授業を受けることだけが 「教育を受ける権利」 だとは思いません。子ども達が望むもの、必要としているものにこそ、権利の実体があり、主体的な学びが生まれます。

現在の制限された社会、学校の形態が今まであたりまえのように、そして大して気にもしなかった、そして、 「勉強する」 ことからして、低く評価され続けてきた 「友達とあそぶ」 ということが、どれほど子どもの育ちにとって大切で必要なことだったのかが、あらためて問われているのだと考えます。

 

【 「テレワーク」 というシステム 】

私達大人はどうでしょう。 「テレワーク」 というシステムが話題になり、オンライン会議がこれからの働き方改革の目玉になると言われています。

「テレワーク」 になると、仕事場に出向く往復の時間が短縮になります。満員電車、バス、交通渋滞のストレスもありません。効率よく、無駄なく、仕事ができるというわけです。

確かに、国や地域を問わず、情報は拡大を続けますから、それに応じた働き方というものが提案されるのはわかります。ところが、今回のコロナ禍で、 「巣ごもり」 状態による自分の体の 「持て余し」 の悩みも、あちこちで話題になっています。

有名なアスリートが推奨する 「家庭でできる運動、ストレッチ、体操、ダンス」 などが映像で毎日のように見られます。

人は、体を移動させること(動かす)で多くの情報を得ています。同時に、体の疲れも感じるでしょう。情報を得る刺激と喜び、好奇心の活性化は、体の疲れと休息と一体となっています。そのバランスの中で、健康は保たれています。

ストレスは、悪者だけではありません。ネガティブに働くこともあれば、負荷の強さが 「やる気」 になって、ポジティブに変化することもあります。

今回の状況で、体を移動させること(動かす)が、危険もあり無駄な時間、と思われることもあれば、心と体のバランスにとっては、必要なことでもあるとわかりました。

ちょっと視野を広げて、遠目で見てみるといろいろな発見があるものです。

 

【 「保育を受ける権利」 】

ここでもう少し考えます。学生の 「教育を受ける権利」 は前述しました。それでは、乳幼児にとっての 「保育を受ける権利」 はどうなっているのでしょう。このことについては、誰も、どこでも、話題にしません。なりません。むしろこの時期、この状況で、日本中で乳幼児は 「厄介者」 扱いです。

家の中で騒ぐ、落ち着かない、大人はイライラして叱り続ける。声を荒げて、時には手を挙げてしまうこともある。 「テレワーク」 中の父も母も、子どもがからんでくるので、集中して仕事ができない。 「こりゃたまらん」 と近くのホテルで日中 「テレワーク」。この方がよく仕事ができるという有様。子どもとの長引く共同生活に 「ママをやめたい」 という苦しい叫びが上がる。それに、共感するママが増えている。ドキュメント映画が話題になり、さらに共感の輪が広がっているという。緊急事態宣言が発出中、制約された社会生活は息苦しく、不自由でとてもストレスフルな状態になっている。そこに、 「騒々しい子ども」 が、もっと大人の心身の負担を大きくする。はっきり言って、この状況下において、子どもは 「厄介者」 です。

 

でも本当でしょうか?

一方で、 「普段すごすことの少なかった子どもと、一緒にいる時間が増えた。」 とか、 「子どもと新しい生活スタイルを作り出すことが、とても新鮮だ。」 とか、 「子どもが協力してくれる。その健気さに救われます。」 とか、 「我子のことを充分にわかっていなかった。と反省する機会になりました。」 というしみじみとした声も聞いています。

決して、子どもは 「厄介者」 ではありません。

子ども達は、社会の複雑な仕組みとか、状況の変化の理解まではできません。しかし、親がきちんとわかるように説明することは、内容がむつかしくても、その真剣さから受け取めることはできます。事の重大さを感じ、新しいルールを守ること、不自由さをがまんすること、あそびたい衝動をこらえることも、充分にできます。子どもには、きちんとした 「対応力」 が備わっています。

 

しかし、もし大人がそのような子どもの 「対応力」 を、信じることができなければ・・・。

そして、親の真剣さがきちんと伝わらないような、歪んだ親子関係になっていたとしたら・・・。

子どもが持っている 「対応力」 を発揮できるような、大人への信頼と、情緒の安定が見られないとしたら・・・。

つまり、大人の子育てが歪んでいたり、子ども理解が子どもの本質理解に届いていなければ、この状況の中で子どもは 「厄介者」 として、さらに大人を苦しめるというようになってしまうだろうと、考えられます。

 

【今できること】

最初に書いた 「教育を受ける権利」 は、大人目線で言うと 「教授方法・教育格差」 が話題の中心となります。しかし、子ども目線で考えると友達とあそぶ環境の熱望となります。そして、 「保育を受ける権利」 はと考えると、残念ながら大人目線、子ども目線共に充分な答えが見つかりません。

しかし、今回の出来事により、次のことはわかりました。

乳幼児の 「保育を受ける権利」 は、もっと取り上げられてもいいと思います。もっと重要視されるべきだと考えられます。彼らが権利を行使できる環境の整備に、もっと大人は努力しなければなりません。なぜなら、小さな子ども達にとっては、インタビューの小学生以上に 「友達とあそぶ」 ことでの学びが、育ちにとって必須だからです。乳幼児は、オンラインとタブレットの直接教育では学ぶことに限りがあります。偏ります。

「子どもは子どもから学ぶ」 というように、彼らの学びの方法は、間接教育。即ち 「整えられた環境の中で、知的好奇心に導かれて、場や人との相互関係性の中」 にあるからです。

 

私達は、まずその 「あそび(学び)の環境」 を作らねばならないと考えます。人が人から学ぶという状況を努力して準備しなければならないと思います。

乳幼児の 「保育を受ける権利」 を考える時、ひとりひとりの子どもの顔が浮かびます。小さいがゆえに訴えることもできない子どもの顔、この状況下で 「厄介者」 のように扱われている子どもの顔。大人の苦しみは協調されても、子どもの痛みは取り上げられることのないこの状況・・・。

まだ答えを見つけられずにいる私達は、とにかくできることから始めたいと思います。その行動力が少なくとも今は、子どもに対する責任を全うすることだと考えます。

私は、今までのカナカナ学習会で、子育ては 「子どもと共に生きる」 ということだと話しました。子どもをリスペクト(尊敬)するという考え方を提案もしました。今回の事態を受けて、さらに 「新しい保育の発見」 を模索し続けたいと、気を引き締める毎日です。

 

※私達は、4月、5月と緊急事態宣言が発出されている中でも、感染に最大限配慮しながら、子どもと家族のつながりを見失わないように、そして、子どもの健全な育ちを応援するための次のような対応を取ってきました。

 

1.子どものあそび場として、クラス毎の小人数の園庭開放。

2.「こいのぼり」 「家族の日」 などの家庭での製作物の提供と、仕上げと情報交換のための登園活動。(クラス毎、小人数、時間制限)

(生産農家支援の花の販売もしました。皆さんご協力ありがとうございました。とても有意義で楽しかったです。)

3.4月に実施できなかった新入園児のための親子慣らし保育。(クラス毎、小人数、短時間)

4.電話での子育て相談・支援。

5.自治体からの新しい情報の発信と園の考え方の伝達。(メール配信、近隣の方へ職員によるポスティング、遠方の方への郵送)

5月下旬からは、もう一歩踏み込んで6月以降の 「教育・保育の復活」 への準備をすすめました。さらに、中断していました子育て学習会を、小さなグループに分けて実施します。まず新入園児の保護者を対象にして 「第1回保護者学習会」 を始めます。

さらに、6月にはこれも従来よりは、小さなグループに制限した上で、 「恒例のグループ懇談会」 を予定しています。

コロナ禍の影響の残る中でも、それなりに忙しい毎日です。

2020/05/29